【聖書箇所】 ヨハネの手紙第二1章3節~6節
「Ⅱヨハ1:3 真理と愛のうちに、父なる神と御父の御子イエス・キリストからの恵みとあわれみと平安は、私たちとともにあります。
1:4 あなたの子どもたちの中に、御父から私たちが受けた命令のとおりに真理のうちを歩んでいる人たちがあるのを知って、私は非常に喜んでいます。
1:5 そこで夫人よ。お願いしたいことがあります。それは私が新しい命令を書くのではなく、初めから私たちが持っていたものなのですが、私たちが互いに愛し合うということです。
1:6 愛とは、御父の命令に従って歩むことであり、命令とは、あなたがたが初めから聞いているとおり、愛のうちを歩むことです。」
ヨハネはここで、私達は、真理と愛の内にとどまっているので、「父なる神と御父の御子イエス・キリストからの恵みとあわれみと平安は、私たちとともにあります。」と言っています。真理と愛にとどまっている者には、神からの恵みとあわれみと平安が有ると言う事です。ヨハネはなぜこのように言っているかと言うと、この頃異端の教えを持ち込む偽教師が教会にひそかに入り込んで、兄弟達を真理から引き離そうとしているので、真理にとどまって居る様にまた、偽教師に気を付ける様にと言う目的でこの手紙を書いたからです。しかし、4節には、「あなたの子どもたちの中に、御父から私たちが受けた命令のとおりに真理のうちを歩んでいる人たちがあるのを知って、私は非常に喜んでいます。」と言っているように、他の兄弟たちから、夫人の子供たちが神の命令に従って真理の内を歩んでいる事を聞かされてヨハネはとても喜んでいると言っています。ヨハネが教えた福音の真理をそのまま受けた通りに固く守っている子供たちをヨハネは誇りにさえ思えたでしょう。神は真理であり、神の言葉は真実です。何物でも、神を否定したり、反対したり、神の言葉を曲げたりする者は、偽り者であり、偽物です。現代の私達の教会のいくつかにも、ひそかに忍び込み、聖書の教えを捻じ曲げる偽教師達がはいりこんでいます。
1世紀の教会における多くの偽教師が教えたことは、「クリスチャンは神の罰を恐れる事なく、やりたい事は、何でもやれる」と言う教えでした。この偽の教えは、クリスチャンを神の聖さと神の真理から引き離そうとするものでした。どことなく、現代の私達教会の中にも同じ様な物があるのではないでしょうか。こう感じるのは、私だけでしょうか。確かに、パウロは「全ては自由なのです。しかし、全てが益となるわけでは有りません。」と言っています。私達は、何をするにも自由ですが、益となる事を選択する必要があります。自由だからと言って、神の聖さと神の真理から引き離されては、いけません。かえって神の聖さと神の真理に大胆に近づきましょう。
5節に「そこで夫人よ。お願いしたいことがあります。」とありますが、そこでとは、神の聖さと神の真理に立っているあなた方だからこそ、出来る事をお願いします。と言う事です。その教えとは、キリストが初めに教えられた、唯一の戒め「互いに愛し合う」事です。キリスト教の中心であり、キリスト教そのものです。「互いに愛し合う」事は、律法を完全に守る事と同じだからです。
旧約聖書の時代、モーセが神からシナイ山で与えられた律法を完全に守る事で救わると言う契約を結びました。この契約は、シナイ契約と呼ばれている神との旧い契約です。新約の今の時代は、「互いに愛し合う」事で律法を完全に守り救われるのです。キリスト教の中心的教えである「互いに愛し合う」事は、律法を完全に守る事であると同時に、救いを完全なものにする為に必要な事です。
「互いに愛し合う」為に必要な事は、互いの間に愛がある事です。6節では、愛について書かれています。「愛とは、御父の命令に従って歩むことであり」とある様に、愛とは神様の命令に従って歩む事です。なぜなら、神は愛だからです。神は愛そのものです。
全ての愛の源は、神であり愛のない者にかみはわかりません。なぜなら、神は愛だからです。神から生まれた者は、みな愛が有ります。神から生まれた者は、キリストが命じられた通り互いに愛し合います。こういう者がクリスチャンです。
ヨハネはヨハネの手紙第一の中でも「互いに愛し合う」事の大切さを教えています。なぜなら、キリストの教えの中心は「互いに愛し合う」事、御父の命令に従うことは、愛の内を歩むことだからです。そして、神から生まれたクリスチャンは神の命令を守り愛の内を歩み互いに愛し合う者だからです。
旧約聖書の時代救われる為には、律法を完全に守る事でしたがイエス様がこの地上に誕生されて私達の背きの罪と咎を赦すために十字架上で死んで下さいました。その大きな愛が私達を救って下さいました。そして、私達はイエス・キリストを神の御子と信じ新しい契約にあずかる者となった私達は、律法を全うする為にキリストの教えの中心である、「互いに愛し合う」事の実行と互いの間に存在する神の愛によって律法を全うする事が出来る事を学びました。