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阿部陽二

今週のメッセージを通して神様が教えて下さった事無題のブログ記事


【聖書箇所】

「Ⅰヨハ3:16 キリストは、私たちのために、ご自分のいのちをお捨てになりました。それによって私たちに愛がわかったのです。ですから私たちは、兄弟のために、いのちを捨てるべきです。

3:17 世の富を持ちながら、兄弟が困っているのを見ても、あわれみの心を閉ざすような者に、どうして神の愛がとどまっているでしょう。

3:18 子どもたちよ。私たちは、ことばや口先だけで愛することをせず、行いと真実をもって愛そうではありませんか。

3:19 それによって、私たちは、自分が真理に属するものであることを知り、そして、神の御前に心を安らかにされるのです。

3:20 たとい自分の心が責めてもです。なぜなら、神は私たちの心よりも大きく、そして何もかもご存じだからです。」

「キリストは、私たちのために、ご自分のいのちをお捨てになりました。」と書かれて居る様に、イエス様は、私達の罪を贖う為に十字架の上で、私達の罪をその身に負われ死んで下さいました。イエス様は、私達の罪の贖いの為に自分から進んで十字架に掛かりご自身の命を捨てて下さいました。

「キリストは、私たちのために、ご自分のいのちをお捨てになりました。それによって私たちに愛がわかったのです。」と書かれていますが、私たちに愛がわかったそれとは、イエス様は私達の罪を赦すために、自分から進んで十字架に掛かって下さりました。私達の罪の為に、命を捨てられました。ここに神の愛が有るのです。私達はこの事によって神の愛が分かったと言う事です。それでは、神の愛が分かったところで、

16節に「ですから私たちは、兄弟のために、いのちを捨てるべきです。」キリストの大きな愛が分かった私達は、キリストが私達の為に、いのちを捨てられた様に、私達も、兄弟の為に、いのちを捨てるべきです。この、「捨てるべきです。」のべきは、ギリシャ語で(オフェイロー)と言いまして、「負債を負う」とか「義務を課せられる」という意味でキリストの愛が分かったのなら、私達もキリストの様に兄弟を、いのちを捨てる位愛しなさいと言う事です。

神の愛が分かって、兄弟をいのちを捨てるほど、愛しているとしたら、同じ御霊を持つ、愛する兄弟が、困っているとしたら、助けるのは、当然のことです。

キリストが命じられた、互いに愛し合う事の実践です。

ヨハネは、子供たちよ、と語りかけていますが、次に、私たちはと、自分を含めた形で次のことを教えています。「ことばや口先だけで愛することをせず、行いと真実をもって愛そうではありませんか。」私達は、ことばや口先では、愛のある事を言いますが、真実をもって愛の行動を実行しているでしょうか?私は、なかなかできていないと思います。本当に自分が愛のない者に思えます。もっともっと、真実に愛の行動が出来るようにしたいと思います。

19節で「 それによって、私たちは、自分が真理に属するものであることを知り、そして、神の御前に心を安らかにされるのです。」とあります。行いと真実をもって兄弟を愛する事によって、自分が真理に属するものであることを知り、そして、神の御前に心を安らかにされるのですと、御言葉は言っています。私達が神の平安を得るには、行いと真実をもって同じ御霊に属する、兄弟を愛する事が大切なことです。この様な人が真理に属する人で神の愛が全うされているのですと御言葉は言っています。

私自身、行いと真実をもって愛の行動を実行する事が出来ていない事にしても、なかなか伝道が出来ていない事にしても、自分の心に責められる事がありますが、その事に神様は、御言葉をもって答えて下さいました。ここに、「たとい自分の心が責めても」とありますが、たとえ自分の心に責められる事があっても、神様は大きな心で私達を見守っていて下さいます。何もかもご存じでいて下さいます。ここでは、自分の心に責められる事が決して悪い事ではない事を伝えています。私達は真実に神の愛に生きようとすればするほど、自分の未熟さに心を痛め、責めを感じます。しかし、神はその思いをも分かっていて下さいます。ですから、神様は私達の未熟さに目を止められるのではなく、真実に神の愛に生きようとする、その思いに目を止められる方です。「なぜなら、神は私たちの心よりも大きく、そして何もかもご存じだからです。」神様は私達の真実に神に従いた思いを分かって下さいます。その上で、弱さもわかっていて下さる事を学びました。

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