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阿部陽二

メッセージ


「主題」-「神の平安」シャローム (ㇸ)sholom

*第1のポイント-「礼拝の始めの日」     エズラ記3章6節

*第2のポイント-「神殿の礎が据えられる日」 ハガイ書2章18節

*第3のポイント-「祝福の約束」       ハガイ書2章19節

*【聖書箇所】  エズラ記3章6節 ハガイ書2章18節

「エズ 3:6 彼らは第七の月の第一日から全焼のいけにえを【主】にささげ始めたが、【主】の神殿の礎はまだ据えられていなかった。」

ハガ2:18 さあ、あなたがたは、きょうから後のことをよく考えよ。すなわち、第九の月の二十四日、【主】の神殿の礎が据えられた日から後のことをよく考えよ。

2:19 種はまだ穀物倉にあるだろうか。ぶどうの木、いちじくの木、ざくろの木、オリーブの木は、まだ実を結ばないだろうか。きょうから後、わたしは祝福しよう。」

「導入」

今日は、家の教会シャロームチャーチ釧路に、神様が示された御言葉エズラ記3章6節、ハガイ書2章18節から、今日は学んでいきたいと思います。

*第1のポイント-「礼拝の始めの日」 エズラ記3章6節

「エズ 3:6 彼らは第七の月の第一日から全焼のいけにえを【主】にささげ始めたが、【主】の神殿の礎はまだ据えられていなかった。」

「例話」―

私達の教会、家の教会シャロームチャーチ釧路は、三か月前の7月1日から、スタートしましたが、それには、理由がありました。

第七の月の第一日目が、私の誕生日で還暦を迎えました。60歳から神の働きをしたいと思わされて7月1日から、ここ家の教会シャロームチャーチ釧路で仕事をしながら、開拓伝道を始めました。昨年ある方からなぜ、7月1日なのですかもっと後でも言いにでは?と言われて神様に祈り示された御言葉が、ハガイ書2章18~19節でした。

*ハガイ書2章18節~19節

「ハガ2:18 さあ、あなたがたは、きょうから後のことをよく考えよ。すなわち、第九の月の二十四日、【主】の神殿の礎が据えられた日から後のことをよく考えよ。

2:19 種はまだ穀物倉にあるだろうか。ぶどうの木、いちじくの木、ざくろの木、オリーブの木は、まだ実を結ばないだろうか。きょうから後、わたしは祝福しよう。」

この御言葉は第2のポイント・第3のポイントで見ていきますが、第九の月の二十四日と言うひにちがしめされました。私の中でも9月24日からの方がいいのか7月1日からがいいのかと思い悩みながらも、60歳の誕生日が7月1日と言う理由で、7月1日から、スタートしました。先日9月24日のメッセージをハガイ書2章18~19節から、「神殿の礎が据えられる日」と言う主題で、作って居た時に、神様がエズラ記3章6節を示されました。

*エズラ記3章6節

「エズ 3:6 彼らは第七の月の第一日から全焼のいけにえを【主】にささげ始めたが、【主】の神殿の礎はまだ据えられていなかった。」

どうしてスタートが7月1日から、なのかを教えてくださいました。この御言葉が、教えるように、私達は7月1日から、スタートしましたが、【主】の神殿の礎はまだ据えられていなかったのでした。

*第2のポイント-「神殿の礎が据えられる日」 ハガイ書2章18節  

「ハガ2:18 さあ、あなたがたは、きょうから後のことをよく考えよ。すなわち、第九の月の二十四日、【主】の神殿の礎が据えられた日から後のことをよく考えよ。」

ユダや歴と西暦では、2か月くらい違いますがこの御言葉に第九の月の二十四日とありますがまさに、今日の聖日礼拝の日が第九の月の二十四日です。第九の月の二十四日が日曜日になる年は5年か6年に1度ですが、今日、2017年9月24日が日曜日なのは偶然でしょうか?いえ、決してそんな事はありません。すべては神の計画です。主の神殿である、教会、この家の教会シャロームチャーチ釧路の礎を今日、第九の月の二十四日に主が据えて下さいました。今日から後、家の教会シャロームチャーチ釧路を主が祝福して下さると確信しています。

「例話」―神の計画

皆さん、こんな事を思った事は、ありませんか?何かの出来事が終わった後や、また、その出来事を忘れてしまって居るような時「ああ、あの出来事は神の計画だったのか」と思う瞬間はありませんか?私は、このメッセージを作って居る時、そう思わされました。御言葉から9月24日と言う日にちを示されながら9月24日からスタートしょうか?7月1日からスタートしょうか?と悩みながら、ただ、7月1日に60歳になるからという理由でこの家の教会シャロームチャーチ釧路をスタートさせました。しかし、神様はエズラ記3章6節を示されて

私の計画だと教えて下さいました。そして、まさに今日、主の神殿の礎が据えられる日を迎えたのです。

また、18節に戻りますが、18節では、「きょうから後のことをよく考えよ。【主】の神殿の礎が据えられた日から後のことをよく考えよ。」と言っています。その事が、19節に示されているので、今日から後の事を見ていきたいと思います。

*第3のポイント-「祝福の約束」     ハガイ書2章19節

「2:19 種はまだ穀物倉にあるだろうか。ぶどうの木、いちじくの木、ざくろの木、オリーブの木は、まだ実を結ばないだろうか。きょうから後、わたしは祝福しよう。」

主の神殿の礎が据えられる日を迎えた、今日から後の事を考えてみようと思いますが、19節に後の事が示されています。「種はまだ穀物倉にあるだろうか。」ここでは、穀物倉にある穀物の量を気にしています。この文面から見て取れる状況は穀物が底をつくのでは、食料が無くなってしまうのではないかと、心配している様子が見て取れます。次に、「ぶどうの木、いちじくの木、ざくろの木、オリーブの木は、まだ実を結ばないだろうか。」イスラエル地方の主要な木の実のぶどう、いちじく、ざくろ、オリーブの実が、早く結ばないと食料が、無くなってしまうと心配していますが、「きょうから後、わたしは祝福しよう。」と神様は、言っておられます。この神の祝福の中には、明日の食糧の心配や今年は木の実なるだろうかと心配したり、色々な心配や煩いを取り除いて下さって、神様が私達を祝福して下さると約束して下さったのだから、この約束を信じて、神を愛して、神の命令を守る事を求めていく事が「神の平安」を得る為に必要な事です。

*「結論」-「神の平安」   出エジプト 20章6節

「出20:6 わたしを愛し、わたしの命令を守る者には、恵みを千代にまで施すからである。」

神様は、今日から後この家の教会シャロームチャーチ釧路を祝福しようと約束して下さっています。この約束を握りしめて今日から後の祝福された一日一日を送るために、神を愛して、神の命令を守る事を求めて行きましょう。神の命令を守る事は、聖書の御言葉に従う事ですが、決して簡単ではありません。出来ないけれど神の命令を守りたいと言う思いが大切です。そうすれば、私達に千代までの恵みが約束されています。今日から後の恵みを味わって行きましょう。


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